プロ野球選手の佐々木朗希選手が大活躍です。
佐々木朗希選手の高校時代の成績がどの位スゴイ成績だったのでしょうか?
幼少期や中学校も周り人とは、レベルが違っていたのでしょうか。
話題になった、佐々木朗希選手と高校時代の監督とのエピソードもご紹介していきたいと思います。
目次
佐々木朗希高校時代の成績は?
佐々木朗希選手の時代時代の野球成績や出身高校の偏差値などをご紹介します。
出身高校は
佐々木朗希選手の出身高校は、県立大船渡港等学校です。
成績は
一年生の夏の大会では、ピッチャーとしてすでに147kmをマーク。
2年生の夏には、154km、2年生最高位記録は157kmです。
2019年に非公式ではありますが、高校日本代表候補の合宿の際にスピードガンで163kmを記録しています。
この時に、大谷翔平さんの記録をも超えてきたので、令和の怪物と言われるようになりました。
偏差値
佐々木朗希選手の出身高校、県立大船渡港等学校の偏差値は、現在のところ52です。
偏差値 | 高校名 | 国公私立 |
---|---|---|
52 | 大船渡高等学校 | 公立 |
佐々木朗希と監督エピソード
この高校の時の監督と佐々木朗希選手の話は、おそらく社会現象近くまで行ったお話でしたよね。
私も記憶にまだ鮮明ですが、とっても難しい判断だったと思います。
もうすでに、高校ではプロ入りも言われていたし、令和の怪物とまで言われていました。
そういう選手の最後の甲子園、そして大船渡で甲子園に行くと決めていたその最後の甲子園。
そこで監督は、ピッチャーでもバッターでも佐々木朗希選手を起用しませんでした。
そして高校も甲子園に行くことなく、敗退しました。
この件で、かなり世間全体が騒がれました。
監督も目的は、今後の佐々木朗希選手の将来を考えての温存。
でも、実際はわからないですが、佐々木朗希選手が出場していれば勝ったかもとも言われていて、すごく監督はバッシングされていました。
負けたことにもだし、甲子園というのは、学校最後の野球の華舞台。
そこに佐々木選手を出さなかったことにもかなりのバッシングでした。
でも佐々木朗希選手は、多くを語らず、表情にも見せずとても大人だなと思った印象が強く残っています。
佐々木朗希選手を思ったからこその監督の対応でもあるわけですしね。
賛否両論がかなり渦巻いていましたから、佐々木選手も学生ながら悪目立ちがとてもイヤだったでしょうね。
今もあまりメディアは好きではないような雰囲気ありますもんね。
佐々木朗希の出身中学校
佐々木朗希選手の出身中学校は、大船渡市立第一中学校です。
この中学校での出来事が、今の佐々木朗希選手の土台になっているんです。
中学校時代にすでに140kmもの球を投げる球児でした。
実は中学校はいる時にはすでに160㎝、そして卒業する時にはなんと180㎝になっていたのです。
この3年間で、20㎝も伸びたということ。
だから体がなかなかついていかなかったので、成長痛というか故障が多々ありました。
あまりにも故障が多くて、この時野球をやめようかと涙していたんです。
でも諦めず、じっくり腰を据えて地道なトレーニング、体つくりをコツコツコツコツと継続し続けたそうです。
それが今に繋がっていて根性にもなったと言っていました。
そしてさらに中学のメンバーへの思い入れは相当強かったようですね。
仲間思いの佐々木朗希選手ですから、ひとしおでしょうね。
このメンバーと甲子園に行きたいという思いが強くて、全国の強豪からのオファーをすべて蹴ったほど。
しかもその強豪には、優勝常連校などもすべて入っていたのに、見向きもせず仲間との野球、地元での野球にこだわったんです。
学生の頃からすでに人柄がにじみ出ていますよね。
佐々木朗希の出身小学校
佐々木朗希選手の出身小学校は、陸前高田小学校なのですが、震災の影響で引っ越し、大船渡市立猪川小学校に転校しています。
この震災の時の佐々木朗希選手の話はよく語られているので私も知っています。
小学校3年の時に震災が起きて、そこで祖父母、お父さんを亡くし、家も流されたのです。
それで陸前高田から大船渡へ引っ越しをしています。
高校の時、もうすでに野球界では有名だった佐々木朗希選手は、県内外問わず、たくさんの高校へのオファーが来ていたのです。
でも、震災の東北への想いが強いため、地元で甲子園に行きたいと、大船渡の高校を選んだのはよく話されていることでした。
佐々木朗希の幼少期は
佐々木朗希選手の幼少期として、小学校3年生が野球デビューでした。
そのころは、まだ陸前高田に住んでいて、地元高田スポーツ少年団に入って野球をしたそうです。
三兄弟の真ん中で、性格は物静かで前向き、芯が強くて、一生懸命。
かなりな負けず嫌いで仲間思いの優しい子だと、周りの人たちが評していました。
震災でお父さんが居なくなってからは、お兄ちゃんが父親代わりで面倒を見てくれて、野球を教えてくれたのもお兄ちゃんだそうです。
確かに、物静かでそこまで派手なイメージはないけど、目立ってしまう人ですよね。
雰囲気的にはイチローみたいな要素を感じるのは私だけでしょうか(笑)
佐々木朗希のイケメンエピソード
佐々木朗希選手は、物静かなイケメンです。
そして、哲学的なイメージもあり、勉学というところではなく、生きるという上での賢さ、聡明さを持っている人に思えます。
だから最後の高校野球のあの社会問題にもなった出来事も、あの凛とした姿で対応できたのだと思います。
学生なのに大人ぶりがすごくて感銘を受けていました。
本当は泣き崩れたかったのではないかと思いましたけどね。まだ高校生ですもの。
エピソードをふたつ紹介してみます。
①野球選手が夢でなかった
小さいころから野球選手なんてなれるとも思っていないし、だから夢にもしていなかった。
普通に就職して、普通に結婚して静かに過ごしたいと思っていた
と発言しています。
大震災の影響やいろいろあるだろうし、持って生まれたものもあるのか、彼は至ってクールで冷静で、大人なんですよね。
②暗黙知と形式知が必要
哲学的なことも語っています。言葉のチョイスも知識も賢さが伺えます。
考えて野球ができる人なのでしょう。
でもインテリみたいなイメージもないですしね!
頭に思い描くことを言語化することをしたい、それが憧れとのこと。
すこし人と違った感覚で物事を見る事ができますよね。
きっと、思いはすごくアツく、たくさんあるのでしょう。
それを言葉ではうまく表現できないというか、言葉にするとなんだかズレが生じる感じ。
きっと頭の中で、考え事をたくさんしてそうな感じしますよね。
早くに大人になってしまったタイプに思います。
佐々木朗希のプロフィール
佐々木朗希選手のエピソードを紹介します。
名前:佐々木朗希 ささきろうき
出身地:岩手県陸前高田市
身長:190㎝
体重:85㎏
右投げ右打
陸前高田に生まれ、大船渡で学生生活を過ごしています。
小学校3年生の時に震災にあい、父と祖父母を亡くし、そこから母と兄弟3人で暮らしています。
高校の3年生の最後の甲子園、ケガの予防で登板しないという選択をした監督。
投げれなかった甲子園、賛否両論が世の中を駆け巡りました。
波乱万丈といっては軽いですが、若くして重たい思いをたくさんしている青年だと言えます。
そのため、深く考える事や哲学的なところを悟ったような早く大人になってしまった人に思えます。
まとめ
佐々木朗希選手は、令和の怪物と呼ばれている投手で、高校時代から全国の高校からオファーが来るすごい選手。
急速では、大谷翔平選手も超えている記録をマーク。
東日本大震災の被災、甲子園での非登板など、いろいろな経験を若くしてしている分、早く大人になってしまった青年のイメージです。
プロになり、まだ大きな印象の活躍はないのですが、中学校時代の苦しんだ経験が彼を強くしているので、辛抱強いでしょうね。
佐々木朗希選手は、顔もイケメンだし、人としても人柄は素晴らしいですし、これからの活躍が楽しみです!
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